蓮葉の露

ヘッドライトに照らされる雨粒

怒りは6秒我慢すれば収まるを提唱した人間へ

昔から怒りっぽいというか、とにかくめちゃくちゃな性格だったのだが、中学生になるまで自分がめちゃくちゃな性格だなんて知らなかった。

瞬間湯沸かし器というあだ名がぴったりだと自分では思うのだが誰にも言われたことがない。これは多分私の回りの人が優しいからだろう。陰では呼ばれていたかもしれない。それくらい怒りっぽかった。


怒りの自覚、始まりは幼稚園年中のころに遡る。
私はのろまではあったが幼児にしては頭の切れる子供であったので、先生から相談を受けたり(今考えると異常な光景だが)頼み事をされたりすることが多かった。ぬいぐるみのように小さいのに大人との日常会話が可能なくらい賢かった。

賢い私はある雨の日、外で遊べないので屋根のある中庭で上靴を飛ばして遊んでいた。そのうちただ飛ばすだけでは満足できなくなった私は、ちょうど屋根のあるところとないところの間にある何も植えられていない花壇の上に上靴を飛ばすスリル満点の遊びを思いつき、器用に力加減を調整して靴を飛ばした。

フーッ、成功である。失敗すれば上靴はどしゃ降りに投げ出される。

3回、4回……連続成功中、常に鼻水を垂らしている同じ組の女の子が寄ってきた。最悪だと思った。その子に関わるとろくなことがないからだ。

「たのしそう。私もやる」

彼女は予備動作ゼロで力一杯足を振って上靴を飛ばした。

上靴はものすごい勢いでどしゃ降りの中に突っ込んでいって見えなくなった。

彼女はどしゃ降りを指差して泣き出した。最悪だと思った。舌打ちを知っていたら絶対に舌打ちしていただろう。幼い私は知らなかったが。

運悪くそこへ先生がやってきた。先生は機嫌の悪い私と泣いている彼女を一瞥し、見事に勘違いをした。
「何やってるの!」

何もしていない。しかし5歳の頭では明らかに自分を叱責しようとしている大人に対して何から説明すればいいか分からなかった。私は叱られた。叱られているあいだじゅうずっと腹のあたりがもやもやと疼くのを感じていた。
それが怒りであったことを知ったのはずいぶん大きくなってからだった。

これ以前は怒りより蔑みや排斥、遮断の気持ちが強かったので(どんな幼児だよ)怒りのエピソードとしてはここが最初なのである。
自分の使っていたものを取られたり順番を抜かされたりするとプンプン分かりやすく怒るより横目で睨み蔑む方が先だった。嫌な子供すぎる。

小2くらいまでは話を聞こうとしない先生に対して怒りを覚えるのがほとんどだった。

その後、何もかもにキレ散らかすようになる(雑すぎ)。

何もかもにキレ散らかしてはいたが的外れなことを言っていたわけではなかったので、友達は多かった。幻かもしれない。違う幻ではない。バカに見えるが成績がよく、多弁で目立ちたがりで正直で自信家だった。言いたいことがあると絶対我慢できずに隣の人に言ってしまった。病的なまでにおしゃべりだった。
当時は自覚がなかったが人生最大のモテ期は小学生のときである。その頃は男女の区別もついていなかった。今考えれば女の子に友達が数えるほどしかいなかったな。信者みたいな人はいたが……

とにかくめちゃくちゃな性格だった。気づいていなかったがめちゃくちゃな状態で男の子と仲良くしすぎて相当陰口を言われていたようだ。男女の区別がついていない人間に何を言っても無駄である。
みんなの初恋が幼稚園だと知ったのはなんと高校生になってからであった。

めちゃくちゃな私のことを気に入ってくれる人の存在は本当にありがたいが、同時に申し訳なくもある。今は丸くなってしまって対外的に全くめちゃくちゃではないのだ。


本題に戻るが(本題とは?)丸くなったとは言ったものの、怒りっぽいのは全然直っていないしむしろ生理が始まってから悪化した。

生理中の身体症状も最悪なのだが生理前の精神的な症状が特に激しく、世界のすべてを許すことができなくなる。意味もなく全員燃やしてやりたい気持ちに駆られ、数日後自分が死んだ方が世界がよくなることに気づいて大泣きする。さらに数日後股から血が出て、臓物をかき混ぜられるような痛みに耐えられず薬を期定量を超えて服用するも痛みでゲロを吐き意識を手放すのである。

中学生以降怒りに鬱が追随してくるようになってさらに最悪になった。

怒りは止まらない。我慢すればするほど怒りは膨らみ反動で鬱が膨らみ、何でもない瞬間に大号泣しながら壁に向かって懺悔することになる。

「怒りは本来6秒で消える。怒り続けている人は自分で怒り続けることを選択しているだけ」

そういうエッセイマンガみたいなのを見てキレ散らかした。怒らなくて済むなら怒りたくなんかないに決まっている。こっちは努力して我慢して溜め込んで鬱を爆発させなにも悲しくないのにシャワーを浴びながら目が開かなくなるほど号泣するような生活をしているのに。
私がこうなることを選び取っているとでも言うつもりか?
怒りの定義もわからない5歳の私がそんな選択を自発的にしたというのか?

馬鹿げている。いい加減にしてくれ。
と、キレ散らかす毎日である。



仮に多弁も正直も怒りっぽいも、果ては賢いことすらも病気か何かの症状なのだとするならば、本当の私はどんな性格なのだろうか。

病気抜きで私を語ることはできないのかもしれない。
というか何か診断が出ているわけではないので、本当に怒りっぽいクソ野郎だけなのかも知れない。切ない。

美◯輪さんが「泥のついたままの野菜を誰が愛してくれるの?」みたいなことを言っていたよと誰かに教えられて、キレ散らかした。


ありのままの私を愛してほしい。丸くなった私を私の本当の姿だと思わないでほしい。でも尖った頃の自分には戻りたくない。


失敗作のまま生まれてきて世界の皆さんには非常に申し訳ないと思っている。


来世人間に生まれなければならないなら、幼稚園のころに異性に恋をして器用に空気を読んでニコニコして嘘をつく、適度に馬鹿な子供に生まれたい。


賢いことも歌が上手いこともちょっと喋りが上手いこともちょっと絵がかけることもちょっと文を読み書くのが速いことも何の役にもたちはしないのだ。


才能が欲しかった。才能がないならものの良し悪しがわからないくらい鈍く生まれたかった。


外が明るくなってきた。おやすみなさい。