蓮葉の露

ヘッドライトに照らされる雨粒

綺麗になりたいと思うときいつもあの子が脳裏をよぎる

人生で一番の友人の話をしよう。

私は友人が少ない。世間一般から見てどうなのかは正直分からないが、私が友人だと信じている人は数えるほどしかいないのである。

私が少しでも気を遣わなければならない人は友人ではない。

そんな馬鹿な、と思うかも知れないが、私は本来身内や好きな人に対してはとても優しく機嫌よく接するので特別気を張って優しくしようと心がける必要がないのだ。

誰かと話しているとき、優しくしなければ、余計なことを話さないように気を付けなければ、と思ってしまった瞬間に友情は終わり。
それ以前まで友人であった相手であっても、その瞬間が訪れれば終わりだ。
そうやって終わった関係もかなりある。駄目だと思ったらすぐ私から手を離してしまうのである。

そんなわけで友人が極端に少ないのだが、一握りの中にちらほら本当に大切な人がいる。


何かの話し合いだったと思う。
息苦しいと感じて抜け出した。中学1年生のときの話だ。抜け出したと言ってもサボったわけではなく、絵だか字だか知らないがポスター的なものを描く役割に立候補したはずだ。

そのときに出会った。私より先に話し合いから抜けていた二つ結びで華奢な女の子。

私は強い怒りや憤りを覚えたとき以外のことをほとんど記憶していられないタチなのであまり覚えていないのだが、どうやら彼女にとっての私の第一印象は強烈だったらしい。

彼女いわく、「初対面なのに発言が強火な女」だったそうだ。

最悪じゃないか。


そこからの記憶も曖昧だが、夏前には仲良くなっていたような気がする。人間というものはこうも忘れてしまうものなのか……いや、私が記憶に蓋をしているだけだろう。本当は覚えている。だが嫌な記憶がほとんどだからか言語化して取り出すことができない。

しかし、彼女と過ごした日々がとても楽しかったことだけは覚えている。彼女はいつも本を読んでいた。私が邪魔しに行くと、本を閉じて話を聞いてくれた。彼女は博識で話上手で面白かった。他の馬鹿な子供たちとは違う人種みたいだった。

出会ったころの私たちは良く似ていた。身長もほぼ変わらなかったし、おそらく体重も同じくらいだっただろう。爪やストローを噛む癖も運動がとにかく苦手なところも、不器用なところも。


私と違うのは彼女は綺麗だったということだ。

いつもブラシや化粧ポーチを持ち歩いていて、陶器のように色が白くて、絵が上手で、私より何千冊も本を多く読んでいて、文才があった。

彼女は「綺麗な女の子」だった。
美少女が持つ上品さや憂いや鋭さや危うさを纏っていた。

そういうところが好きだった。



彼女には彼女の苦しみがあった。ときどきぽつぽつ話をしてくれることがあった。そういう話を私はたいして驚きもせず同情も共感もせずにただ聞いて心に留め置いた。多分私が本当の意味で彼女の苦しみを理解することはないと思うからだ。共感しているふりは相手を余計に苦しめるだけだ。同情も嫌いだ。


何の話だったかな。



数年会えない期間が続いたが、久しぶりに彼女に会った。彼女はもっと綺麗になっていて、私は化粧っ気もなく地味でモサいままだった。彼女は楽しそうに化粧品売り場の新作コスメを眺めていた。

私たちは誰もいない公園のような廃墟のような変なところに行って、小学生のようにはしゃぎ回りたくさん話をした。彼女はファッションが大人っぽく、私はただただ身長がデカイので全く小学生には見えないが、正直言って2人とも本当の中身は相当幼い。許して欲しい。


新しい知り合いがおしゃべりで、自分が聞き役になることしかできないという話をしたら、「もったいない。しゃべってこそのあなたなのにね」と言ってくれた。私はそれが本当に嬉しかった。

かなり多弁の気があるくせに対して話上手でもない私の魅力が「話す」ところにあると思ってくれている相手がこの世にいるということが嬉しかった。生きていていいのだと言われているようで安堵したのだ。

私の友人はこの人しかいないなあ、としみじみ思った。



本人に直接言ったらいいのにと思う?
いいんだ、虚空へのラブレターで。

読ませる気が本当にないからめちゃくちゃな文章だが、気にしないで欲しい。これは私のための、あの子のための、手紙でしかない。