蓮葉の露

ヘッドライトに照らされる雨粒

のろのろ、じたばた

以前、丸くなって性格がめちゃくちゃじゃなくなってきた、という話をした。

 

嘘だったかもしれない。

 

私はまためちゃくちゃになり始めている。自分の好きだった尖りが、生きづらくて嫌いになっていった尖りが、明らかに磨きをかけて復活してきたのである。

 

ストレスに晒され、怒ることや酷い一言を言うことが止められなくなってきた。

すべてを一刀両断する人、として笑ってもらえればまだいい方である。絶対に私の発言に対するドン引き人口がいると思う。ドン引き人口がいると思ったら暗澹たる気持ちになるのに発言は止められない。何も止められなくてつらい。ド……もんに出てくるあのクソせっかちになる錠剤乗んでるみたいで苦しい。

 

自分の意に反して言葉がスラスラ出ていくという経験は誰にでもあるのだろうか。

 

幼い頃、はじめてアニメで脳内で喋る、いわゆるモノローグの表現を見たとき「思考速度って話す速さの7倍くらいあるし、同時に5つくらいのこと考えてるからこれは遅すぎるな」と思った。

私の頭の中では常に音楽が流れており、その上で思考をしている。見えているものに対する気づき、連想ゲーム、このあと何して遊ぼうか、昨日面白かったこと、授業の内容、先生がどう席を回るか、数秒の間に全部脳内で同時に考えている。ずっとそれが当たり前だと思って過ごしてきたが、どうやらそうではないらしいのだ。

 

現在の私は、思考のうちの280分の1くらいしか口にしないようにしている。

我慢して我慢して我慢して喋らないようにしていると、急に爆発するときが来る。

言うつもりなかったこと、言ったらまずいとわかっていること、話してもしらけるだけだろうことを当たり前のように口に出してしまい「あっ」となる。

 

それで、あ〜あ嫌われただろうな~いやそもそも私のことが好きな人なんていなかったんだよな~何ならこれまで出会った人全員に嫌われてるんだよな~世界中が敵なんだよな〜役立たずのろくでなしなんだよな~学校の先生も親も私のことおかしいって言ってたし仕方ないよな~そういえばあのときこんなこと言われたけど納得できないよな~人間ムカつくよな~でも全部自分が悪いんだよな~死んだほうがいいんだよな~いや周りが努力すべきなんだよな~そんなのは甘えなんだよな~だめなんだな~

 

などと勝手にしんどバッドになって塞ぎ込み、寝て全てを忘れ、毎日同じ過ちを繰り返すのだ。

 

 

最近「おかしい」「変わってるね」と言われる頻度が増えてしまった。たしかに私はおかしいが、おかしいと認知されては困る。いや困りはしないが、印象がなるべく悪い方に向かないよう、ひょうきんな感じを醸し出そうと頑張ってしまう。

私はただただおかしい。しかし、ただただおかしいだけと思われたくない。努力してもどうせおかしいのなら、いっそ面白くありたいという気持ちがずっとある。

 

人に会うとき、とても頑張る。ふざけたくないのにふざける、おどける、ニコニコする。無理してでも笑うとなんとなく楽しいように感じる。

家に帰り布団にもぐり、全てを憎みながら泣く。出会う人皆敵だと感じる。やるべきタスクを何度も確認し不安にかられる。もう二度と起き上がりたくないと思う。ふざける自分を愛せず、意に反した行動をしたことを悔いる。思考を止めたくて寝落ちするまでスマホを見つめ脳に新しい情報を詰め込み続ける。

目覚めると全てを忘れていて、元気であるような気がする。空回りする。ひたすら空虚である。

 

 

ふざけるのと同じくらい怒りも止まらない。やることに追われ、森羅万象に対して怒りが湧き、常に怒りツイートを繰り返している。

ツイートで記録すると自分が何に怒っていたのかがあとから見えて面白い。

面白い訳がないので、怒りツイートをするときもなるべく面白くなるよう心がけてしまう。

 

 

『からだは疲れているのに気ばかりあせって……』

 

↑ド……もんがせっかちになる薬を飲み、意に反して走り回ったあとのセリフなのだが画像が見つけられなかった。

 

いつもこんな感じだ。ボロボロなのに走ることがやめられない。ボロボロなのにあえて険しい道を行くことを止めることができない。

復活してきた尖りを、凶器にしてしまわないようにこれからも頑張らねばならない。私はボロボロで走り続ける。

綺麗になりたいと思うときいつもあの子が脳裏をよぎる

人生で一番の友人の話をしよう。

私は友人が少ない。世間一般から見てどうなのかは正直分からないが、私が友人だと信じている人は数えるほどしかいないのである。

私が少しでも気を遣わなければならない人は友人ではない。

そんな馬鹿な、と思うかも知れないが、私は本来身内や好きな人に対してはとても優しく機嫌よく接するので特別気を張って優しくしようと心がける必要がないのだ。

誰かと話しているとき、優しくしなければ、余計なことを話さないように気を付けなければ、と思ってしまった瞬間に友情は終わり。
それ以前まで友人であった相手であっても、その瞬間が訪れれば終わりだ。
そうやって終わった関係もかなりある。駄目だと思ったらすぐ私から手を離してしまうのである。

そんなわけで友人が極端に少ないのだが、一握りの中にちらほら本当に大切な人がいる。


何かの話し合いだったと思う。
息苦しいと感じて抜け出した。中学1年生のときの話だ。抜け出したと言ってもサボったわけではなく、絵だか字だか知らないがポスター的なものを描く役割に立候補したはずだ。

そのときに出会った。私より先に話し合いから抜けていた二つ結びで華奢な女の子。

私は強い怒りや憤りを覚えたとき以外のことをほとんど記憶していられないタチなのであまり覚えていないのだが、どうやら彼女にとっての私の第一印象は強烈だったらしい。

彼女いわく、「初対面なのに発言が強火な女」だったそうだ。

最悪じゃないか。


そこからの記憶も曖昧だが、夏前には仲良くなっていたような気がする。人間というものはこうも忘れてしまうものなのか……いや、私が記憶に蓋をしているだけだろう。本当は覚えている。だが嫌な記憶がほとんどだからか言語化して取り出すことができない。

しかし、彼女と過ごした日々がとても楽しかったことだけは覚えている。彼女はいつも本を読んでいた。私が邪魔しに行くと、本を閉じて話を聞いてくれた。彼女は博識で話上手で面白かった。他の馬鹿な子供たちとは違う人種みたいだった。

出会ったころの私たちは良く似ていた。身長もほぼ変わらなかったし、おそらく体重も同じくらいだっただろう。爪やストローを噛む癖も運動がとにかく苦手なところも、不器用なところも。


私と違うのは彼女は綺麗だったということだ。

いつもブラシや化粧ポーチを持ち歩いていて、陶器のように色が白くて、絵が上手で、私より何千冊も本を多く読んでいて、文才があった。

彼女は「綺麗な女の子」だった。
美少女が持つ上品さや憂いや鋭さや危うさを纏っていた。

そういうところが好きだった。



彼女には彼女の苦しみがあった。ときどきぽつぽつ話をしてくれることがあった。そういう話を私はたいして驚きもせず同情も共感もせずにただ聞いて心に留め置いた。多分私が本当の意味で彼女の苦しみを理解することはないと思うからだ。共感しているふりは相手を余計に苦しめるだけだ。同情も嫌いだ。


何の話だったかな。



数年会えない期間が続いたが、久しぶりに彼女に会った。彼女はもっと綺麗になっていて、私は化粧っ気もなく地味でモサいままだった。彼女は楽しそうに化粧品売り場の新作コスメを眺めていた。

私たちは誰もいない公園のような廃墟のような変なところに行って、小学生のようにはしゃぎ回りたくさん話をした。彼女はファッションが大人っぽく、私はただただ身長がデカイので全く小学生には見えないが、正直言って2人とも本当の中身は相当幼い。許して欲しい。


新しい知り合いがおしゃべりで、自分が聞き役になることしかできないという話をしたら、「もったいない。しゃべってこそのあなたなのにね」と言ってくれた。私はそれが本当に嬉しかった。

かなり多弁の気があるくせに対して話上手でもない私の魅力が「話す」ところにあると思ってくれている相手がこの世にいるということが嬉しかった。生きていていいのだと言われているようで安堵したのだ。

私の友人はこの人しかいないなあ、としみじみ思った。



本人に直接言ったらいいのにと思う?
いいんだ、虚空へのラブレターで。

読ませる気が本当にないからめちゃくちゃな文章だが、気にしないで欲しい。これは私のための、あの子のための、手紙でしかない。

怒りは6秒我慢すれば収まるを提唱した人間へ

昔から怒りっぽいというか、とにかくめちゃくちゃな性格だったのだが、中学生になるまで自分がめちゃくちゃな性格だなんて知らなかった。

瞬間湯沸かし器というあだ名がぴったりだと自分では思うのだが誰にも言われたことがない。これは多分私の回りの人が優しいからだろう。陰では呼ばれていたかもしれない。それくらい怒りっぽかった。


怒りの自覚、始まりは幼稚園年中のころに遡る。
私はのろまではあったが幼児にしては頭の切れる子供であったので、先生から相談を受けたり(今考えると異常な光景だが)頼み事をされたりすることが多かった。ぬいぐるみのように小さいのに大人との日常会話が可能なくらい賢かった。

賢い私はある雨の日、外で遊べないので屋根のある中庭で上靴を飛ばして遊んでいた。そのうちただ飛ばすだけでは満足できなくなった私は、ちょうど屋根のあるところとないところの間にある何も植えられていない花壇の上に上靴を飛ばすスリル満点の遊びを思いつき、器用に力加減を調整して靴を飛ばした。

フーッ、成功である。失敗すれば上靴はどしゃ降りに投げ出される。

3回、4回……連続成功中、常に鼻水を垂らしている同じ組の女の子が寄ってきた。最悪だと思った。その子に関わるとろくなことがないからだ。

「たのしそう。私もやる」

彼女は予備動作ゼロで力一杯足を振って上靴を飛ばした。

上靴はものすごい勢いでどしゃ降りの中に突っ込んでいって見えなくなった。

彼女はどしゃ降りを指差して泣き出した。最悪だと思った。舌打ちを知っていたら絶対に舌打ちしていただろう。幼い私は知らなかったが。

運悪くそこへ先生がやってきた。先生は機嫌の悪い私と泣いている彼女を一瞥し、見事に勘違いをした。
「何やってるの!」

何もしていない。しかし5歳の頭では明らかに自分を叱責しようとしている大人に対して何から説明すればいいか分からなかった。私は叱られた。叱られているあいだじゅうずっと腹のあたりがもやもやと疼くのを感じていた。
それが怒りであったことを知ったのはずいぶん大きくなってからだった。

これ以前は怒りより蔑みや排斥、遮断の気持ちが強かったので(どんな幼児だよ)怒りのエピソードとしてはここが最初なのである。
自分の使っていたものを取られたり順番を抜かされたりするとプンプン分かりやすく怒るより横目で睨み蔑む方が先だった。嫌な子供すぎる。

小2くらいまでは話を聞こうとしない先生に対して怒りを覚えるのがほとんどだった。

その後、何もかもにキレ散らかすようになる(雑すぎ)。

何もかもにキレ散らかしてはいたが的外れなことを言っていたわけではなかったので、友達は多かった。幻かもしれない。違う幻ではない。バカに見えるが成績がよく、多弁で目立ちたがりで正直で自信家だった。言いたいことがあると絶対我慢できずに隣の人に言ってしまった。病的なまでにおしゃべりだった。
当時は自覚がなかったが人生最大のモテ期は小学生のときである。その頃は男女の区別もついていなかった。今考えれば女の子に友達が数えるほどしかいなかったな。信者みたいな人はいたが……

とにかくめちゃくちゃな性格だった。気づいていなかったがめちゃくちゃな状態で男の子と仲良くしすぎて相当陰口を言われていたようだ。男女の区別がついていない人間に何を言っても無駄である。
みんなの初恋が幼稚園だと知ったのはなんと高校生になってからであった。

めちゃくちゃな私のことを気に入ってくれる人の存在は本当にありがたいが、同時に申し訳なくもある。今は丸くなってしまって対外的に全くめちゃくちゃではないのだ。


本題に戻るが(本題とは?)丸くなったとは言ったものの、怒りっぽいのは全然直っていないしむしろ生理が始まってから悪化した。

生理中の身体症状も最悪なのだが生理前の精神的な症状が特に激しく、世界のすべてを許すことができなくなる。意味もなく全員燃やしてやりたい気持ちに駆られ、数日後自分が死んだ方が世界がよくなることに気づいて大泣きする。さらに数日後股から血が出て、臓物をかき混ぜられるような痛みに耐えられず薬を期定量を超えて服用するも痛みでゲロを吐き意識を手放すのである。

中学生以降怒りに鬱が追随してくるようになってさらに最悪になった。

怒りは止まらない。我慢すればするほど怒りは膨らみ反動で鬱が膨らみ、何でもない瞬間に大号泣しながら壁に向かって懺悔することになる。

「怒りは本来6秒で消える。怒り続けている人は自分で怒り続けることを選択しているだけ」

そういうエッセイマンガみたいなのを見てキレ散らかした。怒らなくて済むなら怒りたくなんかないに決まっている。こっちは努力して我慢して溜め込んで鬱を爆発させなにも悲しくないのにシャワーを浴びながら目が開かなくなるほど号泣するような生活をしているのに。
私がこうなることを選び取っているとでも言うつもりか?
怒りの定義もわからない5歳の私がそんな選択を自発的にしたというのか?

馬鹿げている。いい加減にしてくれ。
と、キレ散らかす毎日である。



仮に多弁も正直も怒りっぽいも、果ては賢いことすらも病気か何かの症状なのだとするならば、本当の私はどんな性格なのだろうか。

病気抜きで私を語ることはできないのかもしれない。
というか何か診断が出ているわけではないので、本当に怒りっぽいクソ野郎だけなのかも知れない。切ない。

美◯輪さんが「泥のついたままの野菜を誰が愛してくれるの?」みたいなことを言っていたよと誰かに教えられて、キレ散らかした。


ありのままの私を愛してほしい。丸くなった私を私の本当の姿だと思わないでほしい。でも尖った頃の自分には戻りたくない。


失敗作のまま生まれてきて世界の皆さんには非常に申し訳ないと思っている。


来世人間に生まれなければならないなら、幼稚園のころに異性に恋をして器用に空気を読んでニコニコして嘘をつく、適度に馬鹿な子供に生まれたい。


賢いことも歌が上手いこともちょっと喋りが上手いこともちょっと絵がかけることもちょっと文を読み書くのが速いことも何の役にもたちはしないのだ。


才能が欲しかった。才能がないならものの良し悪しがわからないくらい鈍く生まれたかった。


外が明るくなってきた。おやすみなさい。